清澄、深川エリアには寺院が多く点在しています。緑も多く風情ある雰囲気です。
深川七福神が、森下駅・清澄白河駅・門前仲町駅周辺の3つの神社と4つの寺院にまつられているなど、
七福神巡りもおすすめです。情緒溢れる町で、お気に入りの空間を見つけてみませんか?
深川七福神巡り-七福神巡りとは、七難を取り除き、七福を与える神々を巡拝し、幸福を祈る行事です。深川七福神は1/15まで、ご開帳が行われており、色紙などのお授けがあります(有料)。 それぞれ、徒歩2時間ほどのコース。ここに来たら訪れてみることをオススメします。
都心とは思えない豊かな自然に
包まれた清澄庭園。四季折々に情緒溢れる姿を見せてくれる
庭園では、川と海に近いこともありキジバト、ヒヨドリ、シジュウカラ、カワウなど、多くの野鳥が一年中見られます。
池を囲って園内を順路に沿ってたどると、様々な景色をみせてくれ、
また芝生が多く広々とした空間の造りになっています。静かで趣があり、
鳥のさえずりが聞こえ、木々が風にそよぐ音、水面が揺れているそばではカモの鳴き声も聞こえます。
ところどころにベンチがあり、一休みしながら園内をゆっくりまわれます。
ベビーカー置場もあり、家族連れにやさしい造りになっています。
お手洗いも石造りできれいに整備されているのがうれしいポイントですね。
広い園内に4ヵ所あります。
中央の島とを結ぶ橋の架け替え工事も行っており、完成が楽しみですね。
カモがたくさん集まった池の前では絵画を楽しむ人も多く、みなさんお上手でした。
information
東京都江東区清澄2・3丁目
Tel 03-3641-5892(清澄庭園サービスセンター)
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https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index033.html
入園時間:9:00~16:30(閉園17:00)
入園料:一般150円、65歳以上70円
※小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料
休園日:12月29日~1月1日
point
磯渡り
池の上には石が飛び飛びに置かれ、渡れるようになっています。 すぐ近くでカモやカエルの息遣いを感じられます。人に慣れているのか、あたたかく迎えてくれているかのよう。 清澄庭園の空間を感じられる瞬間です。石の上にカメも寄り添ってかわいかったですよ。
涼亭
大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築した大正記念館や、「東京都選定歴史的建造物」に選定されている涼亭は、集会場として利用できます。 その際お食事の注文も承っています。まるで水辺に浮かんでいるかのような涼亭は人気で、大正記念館ともに、繁忙期では毎日予約が入ります。
江戸の風情が漂い、多くの人でにぎわう門前仲町に堂々たる風格を持った富岡八幡宮。 門前仲町の歴史、大相撲、水かけ祭りなど、見どころ満載の八幡さまを巡ろう。
information
東京都江東区富岡1-20-3 Tel 03-3642-1315
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http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
商売繁盛、交通安全などあらゆる利益があるとされる深川不動尊。
毎月28日は縁日が行われ、多くの参詣客で賑わいます。
平成24年には新本堂が建立され、そこで行われる大迫力の護摩祈祷は必見です。
information
東京都江東区富岡1-17-13 Tel 03-3641-8288
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http://www.fukagawafudou.gr.jp/
深川七福神の福(幸福)禄(財)寿(長命)の神像が安置されている心行寺。 深川七福神は森下駅、清澄白河駅、門前仲町駅周辺の3つの神社と4つの寺院にまつられ、特に正月には数多くの参詣客で賑わいます。
information
東京都江東区深川2-16-7 Tel 03-3641-2566
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http://www.fukagawa7.net/
浄土宗寺院の道本山 東海院 霊巌寺は、寛永元年(1624年)、霊巌雄誉上人が隅田川河口を埋め立てて霊巌島を築いた時、初めて建てられた寺院です。 明暦の大火(1657)後に現在地へ移転しました。陸奥国白河藩松平定信の墓所があり、白河の地名が名づけられました。
information
東京都江東区白河1-3-32
水彩都市を愉しむ
清澄白河エリアを含む江東区は、運河と橋が多いことから“水彩都市”と呼ばれています。大小合わせて130以上もの橋が区内に架かっています。道路と水路が連なって作られており、住宅地のそばを船が行き交うことも多く見られます。また隅田川や小名木川が流れていたり、公園や並木道、草木が多く、自然を肌で感じることができます。隅田川三名橋のひとつ、永代橋は夜景も楽しめる、人気スポットとして知られています。
隅田川三名橋
隅田川に架かる有名な三つの橋。新東京百景の一つとして知られたり、国の重要文化財に指定されるなど、圧倒的な存在感を見せています。
七福神巡りとは、七難を取り除き、七福を与える神々を巡拝し、幸福を祈る行事です。
深川七福神は1/15まで、ご開帳が行われており、色紙などのお授けがあります(有料)。
それぞれ、徒歩2時間ほどのコース。ここに来たら訪れてみることをオススメします。
観光 村林ビル
東京都江東区佐賀1丁目8-7
村林ビルは、昭和4年(1929)に建てられたオフィスビルです。大正半ばよりモダンな作風を得意として活躍した建築家・関根要太郎が設計した建築物としても知られています。玄関上のテラコッタの装飾は、ユーゲントシュティルという様式を取り入れた当時最先端のモダンデザインで、とても斬新な建物でした。現在では、ド...
観光 大嶽部屋
東京都江東区清澄2丁目8-3
2005年(平成17年)5月に大鵬が定年退職を迎えるため、これに先立ち2004年1月1日付で16代大嶽に師匠を交代し、部屋名称も大鵬部屋から大嶽部屋に変更。後、2010年7月大竜が大嶽を襲名し、部屋を継承しました。17代大嶽となった大竜は大鵬部屋の出身で大鵬の直弟子に当たります。
観光 錣山部屋
東京都江東区清澄3丁目6-2
平成14年(2002)9月場所限りで現役を引退、以降は井筒部屋の部屋付き親方となっていた年寄・20代錣山(元関脇・寺尾)が、平成16年1月、2人の内弟子を連れて井筒部屋から分家独立し、錣山部屋を創設。現在の部屋は平成18年12月に建てられました。現役時代に人気力士だった元関脇・寺尾が率いていることで...
観光 高田川部屋
東京都江東区清澄2丁目15-7
昭和49年(1974)3月場所に現役を引退して年寄・高田川を襲名した8代高田川(元大関・前の山)が、同年4月に内弟子8名を連れて自身が所属する高砂部屋から分家独立して高田川部屋を創設しました。現在は元関脇・安芸乃島(現在の高田川親方)が率いています。
観光 尾車部屋
東京都江東区清澄2丁目15-5
尾車部屋には前史があり1877年(明治10年)6月場所限りで引退した玉垣部屋所属の元幕内・勝山関が「年寄・尾車」を襲名して尾車部屋を創設したのが最初です。ところが大正時代に部屋の後継者を巡る争いが起き、関脇・三杉磯関たちの一派が離れた後は部屋は衰退。 現在の尾車部屋はその「尾車部屋」が47年ぶりに復...
観光 三野村ビル
東京都江東区清澄2丁目8-13
幕末から明治にかけ、豪商・三井家の窮地を救い、のちに「三井の大番頭」と称された、三野村利左衛門が設立した合名会社(現在は株式会社)の社屋として、昭和初期に建築されました。入口に施されたテラコッタなどの装飾が優美で、印象に残る建物です。ドラマや映画の撮影でもたびたび使用されています。
観光 圓珠院
東京都江東区平野1丁目13-6
日蓮宗寺院の圓珠院は、浄心寺の塔頭の一つです。圓珠院は、義勝院日演(1741没)が開山、永井讃岐守直允の後室(円珠院殿妙献日寄大姉、享保15年1730年寂)が開基となり創建したといいます。深川七福神の一つ大黒天として親しまれています。
観光 石造宝篋印塔(阿茶局墓塔)
東京都江東区三好2丁目17-14
本塔は雲光院の開祖である阿茶局の墓塔として建てられたものです。宝篋印塔とは内部に「宝篋印陀羅尼」を納めることに由来する塔婆の一形式ですが、墓塔・供養塔としても建てられるようになりました。阿茶局は弘冶元年(1555)、武田家の家臣飯田氏の子として生まれ、今川家の家臣神尾忠重の妻となりましたが、忠重の死...
観光 芭蕉墨直しの碑
東京都江東区清澄3丁目4-6
松尾芭蕉が度々参禅に通ったと伝えられている臨川寺に建つ墨直しの碑は、芭蕉門下の各務支考が、京都の双林寺に建てた師である芭蕉のことを記した鏡塔の墨跡を、江戸小石川の神谷玄武坊が写して当地に建てたもので、現在の碑は戦後に再建されたものです。
観光 平賀源内電気実験の地
東京都江東区清澄1丁目2
享保13年(1728)に讃岐志度浦で生まれた平賀源内は、諸学に通じ文才に優れ、数々の発明をしました。安永5年(1776)に日本で初めてエレキテル(摩擦起電機)の復元修理に成功し、しばしば深川清住町(清澄1)の自宅で実験を行い人々に見せました。この由来を刻んだ碑がこの地にあります。
観光 紀伊国屋文左衛門の墓
東京都江東区三好1丁目6-13
紀文は商才に富み、大老柳沢吉保や勘定奉行萩原重秀と結び、元禄期の建設ブームの浪に乗って、材木豪商となり、土木建設の工事をひき請け、財をなしました。柳沢失脚後は没落し、門前仲町一の鳥居付近に住み、享保十九年(1734)四月二十四日に六十六歳で没したといわれ、成等院に葬られました。
観光 阿武松緑之助の墓
東京都江東区三好1丁目4-24
阿武松緑之助は、能登国七海村(石川県)の農家の生まれで、文化12年(1815)、25歳で武隈に弟子入りしましたが、一度は国に帰された後、錣山の弟子になりました。それ以降年々成績をあげ、文政10年(1827)、38歳で横綱となりました。歴代横綱の中では、大器晩成型の努力家の力士でした。嘉永4年(185...
観光 度会園女墓
東京都江東区白河1丁目1-8
園女は斯波一有の妻で大坂にすみ夫妻医業を営んでいた。園女は俳句を芭蕉に学び元禄7年芭蕉が大坂にゆき園女の宅で発病し10月12日死去した。園女は夫の死後江戸に移住し富岡八幡宮前にすみ眼科医をしていた園女は富岡へ36本の桜を植え歌仙桜と称しそこが桜の名所となった。園女は享保11年(1727)4月20日死...
観光 セメント工業発祥の地
東京都江東区清澄1丁目2-23
日本で初めてのセメント工場があった場所です。明治8年(1875)、工部省が本格的なセメントの製造に成功しました。隅田川、右側の仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の末、外国品と遜色のない国産のセメントを作り上げました。明治16年(1883)、創業者のひとりである浅野総一郎が払い下げを受け...
観光 雲光院
東京都江東区三好2丁目17-14
徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法號「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩...
観光 龍光院
東京都江東区三好2丁目7-5
龍光院は、江戸時代初期の慶長16年(1611)日本橋馬喰町に創建されましたが、江戸大火災でたびたび焼失し、天和2年(1682)に現在の深川の地へ移転しました。深川七福神の毘沙門天が安置されており、毎年お正月には、深川七福神巡りなど、多くの参拝の方々で賑わっています。
観光 浄心寺
東京都江東区平野2丁目4-25
日蓮宗寺院の浄心寺は、法苑山と号します。浄心寺は、日義上人が深川に草庵を営んでいたところ、四代将軍〓川家綱の乳母三沢局(法名浄心院妙秀日求大姉、明暦2年寂)の帰依を得、三沢局の遺命により新寺を建立しようとしたものの、日義上人も亡くなってしまい、日義上人に託された日通上人が浄心寺を創建、日義上人を開山...
観光 出世不動尊
東京都江東区三好1丁目6-3
近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に本尊の不動尊像が現れ「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお告げがありました。霊巖寺の工事の中、お堂を建てて安置したところ、工事も順調に進み、後に不動寺に安置され上人から『出世不動』と命名されました。関東大震災後、長専院と合併し、以来「深川の出世不動」とし...
観光 間宮林蔵の墓
東京都江東区平野2丁目7-8
間宮林蔵は茨城県の出身で、享和元年(1801)伊能忠敬に測量術を学びました。文化5年(1808)から翌年にかけ、樺太(サハリン)全土を探検し、樺太が離島であることを明らかにしました。後にこの海峡は、間宮海峡(タタール海峡)と名付けられました。
観光 深川稲荷神社
東京都江東区清澄2丁目12-12
布袋尊のまつられている深川稲荷神社は、寛永七年(1630年)の創立、深川地区では、創立の古い神社です。祭神は、宇賀魂命、西大稲荷ともいいます。この付近の旧町名は、深川西大工町でしたが、昭和七年八月一日深川清澄町と改称し、その旧名から西大稲荷と称しました。